雅楽の歴史を紐解いてみましょう。
雅楽は大陸から伝来した音楽を基にしています。大宝元年(701年)の大宝令における雅楽寮の設立を持って始まりと考えられています。以前も書きましたが、大陸で言われる「雅楽」ではなく、宴会などで演奏された「燕楽」を由来としています。他の国では儀式用の音楽なのに日本では宴会用の音楽ですからユニークですね。昔からアレンジ上手なのは変わらないようです。DNA のなせる技でしょうか。
さて、主に発展したのは平安時代で日本古来の音楽と外国の音楽を融合させて行く時代となりました。初めは皇族や貴族の音楽でしたが次第に寺社で独自の音楽隊を持つに至り、平安時代末期には貴族の演奏家よりも身分の低い楽人(−がくじん−と呼ぶそうです)が台頭してきました。音楽世界の民主化でしょうか。
しかし、室町時代、応仁の乱で京が焼かれると一時的に廃れてしまいます。復活するのは江戸時代になってからでした。徳川家光の時代(1618年)に関西から江戸に楽人が召喚されて幕府に部署も設けられました(紅葉山楽人)。それ以降は大名の間にも愛好屋が出たようです。やはり平和な時代に花開くのが文化なんでしょうね。
そして、明治時代には江戸時代に培われた各家の雅楽が編纂されていきました。バラバラだった曲や演奏方法、舞などが統一されていったんですね。明治政府は中央主権的でしたからその影響があるのだと思います。この時代は貨幣(円)にしろ言葉(標準語)にしろこのような傾向がありました。ただ、この頃に多くの楽曲が廃れてしまっていたそうで、1000曲以上あったものが80曲ほどになったそうです。政治が文化に手を出すと多面性がなくなってしまうのでしょうかね。今では私を含め雅楽に親しみがある人の方が少なくなっているのですから、せっかくの日本文化をこの機会に知っていただけたら幸いです。
さて、次回は雅楽に使う楽器について調べてみたいと思います。
この記事へのコメントはありません。